センシノウタ
よく当たる占い師。
気をつけていたはずなのに、そんな噂が立ってしまった。
人は怖いものだ、次の日からここには長蛇の列が出来るようになった。
それぞれのウタを携えて、彼のもとへと。
私の占いには、死しかうつらない。
私の中にあるわたし、――彼、とでも言っておこうか――は、死を糧にして生きている。
だからというのもなんだが、死が『視』える、らしい。
その人が持つウタ――歌であり、詩であり、その人自身から出てきたもの――には、その人の全てが宿る。
ウタを見ることで、彼はそこに死を視る。
私としては他のものも見てもらいたいところだが、彼の能力を利用している以上何もいえない。
だから死を視て、細々とやっていくつもりだった。
だった、のだけれど。
客が続々と彼を頼りに来る。
私は多くのウタに触れ、多くの死を視た。
事故に遭う人には避ける術を、避けられない死には残りを楽しむ術を。
飾らずに言うと気味悪がられるだけなのは分かっているから、慎重に回り道をして。
「よく当たる占い師」、そう言われるのも当然だろう。
忠告を無視した人は、ことごとく死んでいくのだから。
当たる、といって彼を褒め称える人しか残らないのだから。
それでも忠告を守らない人は一定数存在する。
愚かな人々は死んでいき、彼はとても嬉しそうに笑った。
そして、ある夜のこと。
彼は嬉々として一枚の紙を差し出した。
勝手に体が動いて紙を引っ張り出した、という表現のほうが正しいか。
そこには私のウタと、死があった。
どう考えても逃れられないだろうそれに、嘆息して。
「で?私に、どうしろと?」
鏡に向かって呟いた。
手が紙を引き寄せて、さらさらと文字を綴る。
―― アンシンシロ オマエノカラダハ オレガツカッテヤル
「・・・えーっと・・・」つまり、どういう意味ですか。
私は死ぬのではなかったのだろうか。
―― ヨウスルニ オレト オマエノ シュジュウコウタイダ
色々と言いたいことがある。
考えても仕方がないから考えないけれど。
やがて、自分の体を動かせなくなった。
体を思うままに使うという行為が、死んだということか。
まだ私は残っているし。
その日から、私は彼の行う占いをずっと見ていた。
彼は死を求め、死を視て、死を与えた。
そして、その死を自分の糧にして――その、繰り返し。
いつしか彼は「死を呼ぶ占い師」として畏れられた。
――しかし、ウタを携える人が減ることはなく。
あるときは大物政治家が息子に生きる術を叩き込んだりとか。
あるときはテレビに出て有名人の死期を軒並み当てたりとか。
私がやっていたときよりもはるかに有名になって、彼は嬉しそうだった。
彼は、楽しそうに呟いた。
「――ヤットキコエタ、セカイノウタガ――」
たとえばそれは、占って死を視るための、人生を紡ぐウタ。
たとえばそれは、占い師自身が紡いだ死のウタ。
誰のウタも止まることなく、だから皆死を紡ぐウタを止められない。
あとがき。
糸が見えない。意図が見えない。
もう少し規模を小さくするつもりだったけれど、長さ足りないなぁ、って。
・・・入れ替わったあたりで終わるつもりだったんだけどな。
それだけの理由で世界が犠牲になりました☆
センシノウタが無理あるという突っ込みは却下。
占死のウタ。占師のウタ。・・・漢字当てただけですよ。
千個の死、とかもあったのだけれど浮かんだイメージが結局占いでね。
2007/04/18 1限。
2007/04/29