「どうして泣くの?」
「今日は空が綺麗だねぇ」
どこまでも青く無防備に澄み渡ってる。
少し前になんとなく白で全てを統一した部屋の、開け放った小窓に空が青く収まって、ちょっとした絵画のよう。
彼女は困ったようなしかめつらをしたまま仰向けている。
彼女は僕の少し前に立って呆れた顔して首を傾げている。
『ねぇ?』
彼女が可愛い声で訊いてくる。僕の大好きな声で。
「なに?」
僕は下を見たまま笑う。
彼女はぼんやり遠くを見ている。
『私は、死んだの?』
僕は彼女を見上げた。
だって僕は彼女を抱えて座ってたから、いくらなんでも立ってる彼女の方が背が高い。
何も言わないでいると、彼女がいつもみたいにいらいらしたようにちょっと目を反らした。
『私は、殺されたのね?』
僕は笑って、うなずいた。
彼女は呆れた顔で、溜め息ひとつ。
『まあ、そうなると思ってたけど』
人形みたいに可愛い彼女が、いつも着ていた黒いスカートの裾を少しいじる。
困った時はいつもそうしてた。そういうところも、僕は大好きで。
「ね、空が綺麗だよ」
彼女がやっと窓の方を向いてくれた。
けど、すぐにこっちに向きなおる。
『空は見えるけど…色はわからないわ。部屋の中も…あなたしか見えないの』
そういうものなのかな。僕はあの青を見せてあげられないのがちょっと悔しい。
でも僕と空くらいしか見えないんなら、それはそれで嬉しい。
「痛かった?」
『それは痛いわよ』
「ごめんね」
『いいの。そんなの今更』
いつも通りに彼女は笑ってくれた。
本当に大好きだ。どこにも行ってほしくないほど。
『…でも、もうちょっと生きたかった』
珍しく弱い口調に僕は少し驚く。
『もうちょっとで私、結婚するつもりだったのに』
「だれと?」
『…ばか』
言って彼女はそっぽを向いてしまった。
僕は笑って、でも泣きそうに嬉しくて。
横たわる彼女をぎゅっとして、その甘い匂いに少し酔っちゃって。
どこにも行かせたくない。
そう思いはじめてからずっと…決めてたのに。
なんか…怖い。
『…ねぇ?』
彼女はこっちを見ていた。僕がきょとんとしてると、彼女が訊いてきた。
『私が生きてる時からずっと言ってたことはしないの?それとも私がわかってないだけで、もうしちゃったの?』
思ってたことを言い当てられた気がして、僕は頭を少し掻く。
「だって…ほら、君嫌だって言ってたし」
『でもあなたはやりたそうだったわ』
「まぁ…ねぇ」
『それに…今となってはそれも良いかも知れないって思うの』
彼女は僕の大好きな笑顔で言った。
…え?今、彼女は僕の想定外のことを言った?
『はじめてあなたがああ言った時はびっくりしたのよ。でもね…』
背中を向けて彼女は言う。分かりやすい、恥ずかしさの発現。
『あなたとずっと一緒にいたいなって。そう思ったら…それも良いかも知れないって』
ぽかんとして、立ってる彼女を見ながら僕は放心状態。
絶対にやめてとまで言ってたのに、いきなりここまで言われたらびっくりする。
『…何か言って』
彼女が振り向いて膨れ面をする。僕は柄にもなく動揺した。
「ご、ごめん。人って変わるもんなんだなって」
本当は大喜びしていいはずなんだけど、頑固な彼女が意見を変えちゃったのはやっぱり驚きだ。
『…もう。あなたらしくないわね』
「そだね…僕もそう思うよ」
『今更そっちが嫌だとか言いださないでよ?』
「…それはつまりしろっていう命令?」
『そうよ』
うん、でもこうなると頑固だ。でもやっぱり、そこも愛しい。
横たわる彼女。決して僕から逃げたりしない愛しいひと。
しばらくながめてから、僕は立ってる彼女に笑いかけた。
「了解です、お姫さま」
…甘くて、幸せで、重くて。
特殊な興奮に酔っていた僕を、彼女の声が引き戻す。
『私が見てるのって、実際のあなたじゃないみたい』
顔をあげる。青い空が見えて、心が少し静まった。
僕が黙って彼女を見てると、彼女は続ける。
『それとも今の私がちょっとずれてるだけなの?』
「どうかしたのかい」
訊いてみると、彼女は少し僕に近付いた。
『あなたがぼんやりした光を集めてるのが見えるの。きっとあなたがしてることがそう見えてる』
目を凝らして彼女が僕の方を見てる。本当にそう見えてるみたいだ。
「確かに君は僕にとっては光だったからなぁ」
僕がちょっととぼけて言ったら、彼女は一瞬顔を赤くしてから僕をわざとらしく睨む。
『じゃあ今はどうなのよ?』
笑った。
「僕と一緒に闇になったかも?」
彼女はもっと赤くなって溜め息した。
「幽霊も顔赤くなるんだねぇ」
『私もあなたも私が死んだって理解が薄いからじゃないかしら』
「あ、そうかもね」
…想像するよりも人の体は丈夫だ。でも期待するよりは人の体は脆い。
よく知ってるつもりなのに、彼女だとなんか不安だった。
なんでだろう?僕は鈍い奴なのに。
『それにしても、何でそんなことする気になったの?』
知識欲の強い彼女。質問されると嬉しくなる。
「僕らの昔々の慣習、かなぁ。いや、でも君を見てるとそそられるというか」
『相変わらず品のない言葉使い』
「ごめん」
普段通り言いながら、手の内に目を落とす。
青、白、赤。
なんか綺麗だ。世界がまるごとどこかの国旗みたいなこの三色に染まってる気がする。
赤ってこんなに心地いい色だったんだなぁ。
『…私、成仏したりするのかしら』
しても地獄いきでしょうけど、と愛しい声が言った。
素朴な疑問。らしくないほど。
「駄目なんじゃない」
『なんでよ?』
見上げる。可愛くて大好きな黒い服。
「だってほら、君薄くなってきた」
彼女がびっくりして自分の体を見た。それから僕を見る。
『本当にあなたと一緒になるみたいね』
「やだ?」
彼女が困ったような笑顔で首を横に振った。
悔しそうで嬉しそうな照れた笑み。
あ、やっぱり嬉しい。
『相変わらずあなたは無邪気に笑うのね』
「心は邪気で出来てるけどね」
彼女が笑った。それだけで、僕は幸せだ。
あれ、じゃあ何で僕こんなことしてるんだ?
『消えそう、今にも』
また我に帰る。彼女は確かに、淡く淡くなっていた。
「…怖い?」
『怖くないわ。だんだん温かくなってくるから』
優しい声。僕は自分の体を見る。服も手も真っ赤だ。きっと顔も髪もちょっとは。
「…僕の中ってあったかいのかな?」
『私はそう思うわよ』
今度は素で顔が赤くなったのがわかった。そういうさりげない切り返しに僕は弱い。
『色白さんが赤くなるとすぐ分かるわね』
「うるさいなぁ」
苦笑してふと辺りを見回すと、白い床に赤い海が出来ていた。
濃くて甘い匂い。彼女の、さいごの匂い。
『あとどれくらいなの?』
「…もう少し。もう少しで…」
食べ終わるから。
彼女が笑った。
『結局…おいしいの?私なんかが』
「おいしいよ!…僕、君の味、忘れないから」
『何言ってるの。忘れたら承知しないわ』
本当に骨しか残さなければ、きっとこの味は忘れない。
…甘くて、幸せで、重い。
『ねぇ?』
僕は彼女を見上げる。
『一応最後かもしれないから言うけど…私、あなたに会えて良かった』
そうか、このままいけば、彼女、消えちゃうんだ…
「…ありがと」
でもそのかわり、ずっと一緒だ。
何だかお腹いっぱいな感じしてきた。でももう少し。まだ入る。
『さっき、お姫さまって呼んでくれた』
「うん」
『ちょっと、あなた可愛かったわ』
「だって…僕は化け物だから。捕われて、最後食べられちゃった君はお姫さまだよ」
僕は見上げて笑う。からかうつもりで。
そしたら彼女はあっけにとられたような顔をした。
どうしたんだろ。
『…どうして泣くの?』
彼女の声。
「え?」
僕はびっくりして手を顔にやった。涙はない。むしろ手についてた血が頬を染める。
「泣いてないよ、びっくりしたなぁ」
僕が笑いかけると、彼女は困ったように服の裾をいじる。
『私に見えるあなたは泣いてるの…』
お腹いっぱい…じゃなくて、実は心いっぱい?
からかって言おうとしたら本当にそんな気がしてきちゃって慌てた。うつむいてまくしたてる。
「僕は平気だよ、僕は鈍くてでも強いから。そうでしょ?」
だってほら、残酷にも、僕は君を食べ尽してしまえるんだ。
「ずっと一緒にいたいからって君を殺して食べちゃうような僕に…」
顔をあげた。
…いない。
もう、いない。
「…泣くなんて洒落た真似、出来ると思うかい?」
青空の収まった窓枠が見えるだけ。
ああ、本当に、食べちゃった。
ずっと、いっしょに…いられるんだ。
話もできない。姿も見えない。
でもずっと、いっしょに…
いっしょに…
いられると…思うんだ。
「僕に、泣けるほどの優しい心…」
…備わって、ないよ。
2007/04/22