心の封印
「お呼びですか」
「…実験の状況が知りたいんだが」
「…01と02が死亡しました。04と07、12はいまだに狂ったま まです。05と11は感情が復帰しました」
「01も狂死したのか?…残りは」
「08と10です」
「…08を連れてこい」
「08を…ですか?」
「…」
「…了解しました」
一人の幼い少年が、窓に手をついて外を見ている。
緑の木々や草が生い茂る外は、見ているだけで心地よくなりそうな明るい陽射しに煌めいている。
しかし、どんなに風が強く吹いてもその音は少しも少年には届かない。
少年は窓に背を向け、そのまま窓に寄りかかった。硝子製に見える窓 は、微かにすらも歪みはしない。
明るい外に反し、少年のいる部屋はひどく殺風景だった。
照明もなく、椅子のひとつすらない。
空調のものらしい通気孔と窓、そして少年が見つめている扉を除いてしまえば、その部屋は白い空箱と大して変わらなかった。
少年は無表情に扉を見つめ、やがてずるずると座り込んだ。
外の陽射しに全ての明るさを頼っているその部屋は、とても薄暗い。
しかし少年の表情は虚ろでも淋しげでもなんでもなく、ただ静かな無の色をしていた。
少年は扉から目を離し、目を閉ざす…
かちゃり、という音が箱の中に響き、少年は目を開けた。
「ヒサ?」
呼びかけに少年が扉の方を見ると、白衣を着た優しそうな男が扉を開けて少年の方を見ていた。
「…先生」
少年が立つ。男は扉を閉めると少年に歩み寄った。
「寝てたのかい」
男が笑いかける。少年は表情を変えることなく、幼い目で男を見上げた。
「寝てはいません。することがない時はいつも目を閉じてじっとしていますけど」
少年が言うと、男は納得したようにうなずき、それから少年をしばらく見つめた。
「なあ、ヒサ」
「なんですか?」
少年が少し首を傾げた。幼い所作に、男は思わず微笑んでしまう。
それでもすぐに真剣な面持ちになり、男は少年の前にしゃがんだ。
「ヒサは、自分がどんな実験に参加してるか知ってるか?」
王は街を見下ろしている。
「…ルサネ」
王に呼び掛けられて、彼は居住まいを正す。
「何でしょうか」
王は彼を振り返り、試すような口調で問うた。
「平和とは、何だと思う?」
彼は目を丸くした。というのも、王はいつも非常に現実的だったからだ。そう、非常に。
戸惑いながらも彼は答える。
「皆が…幸せに、争うことなく暮らせること、でしょうか…」
王は皮肉な笑みを浮かべた。
「皆が、か…人間は贅沢な生き物だね」
街に向き直り、王は溜め息を吐く。
「全く…今の世界は平和すぎる。何があったか数十年前から世界は善人で溢れかえって」
彼は、王がその『善人』を嫌っているのを知っていた。
その中に自分が含まれること、そして王国の民も皆優しさと温かさに満ちた『善人』であることも。
実際、今の世界はとても平和だった。嘘のように犯罪はぱたりと止み、互いを思いやり支えあう社会。
「怖ましい…」
王が呟く。彼はうつむいた。
彼には王の言う意味が分からないのだ。
彼にとっては生まれた時から世界はやさしかったし、彼よりやや年下の王もそれは同じはずだったからだ。
「ルサネ、私には分からない。何故人々は…こんなにも希薄なんだろう」
呟くような王の言葉は、問いかけには思えなかった。彼はしかしどちらにしろ答えを見付けられない。
「時々思うんだ。今の人間は、まるで…」
声が途絶え、彼は王をうかがう。
王はため息の様な笑いをこぼし、彼を振り返った。
「重要な話がある」
彼が見たのは、いつも通り冷徹な王の目だった。
「実験…」
少年は下を向いて少し考え、困った様に男を見た。
「シクロさまがぼくを選んでくれたことくらいしか、教えられていません」
男はうなずく。それから立ち上がり、少年の横、窓辺へと歩いた。
「基本的に話してはいけない事になってるんだ。話を聞くと…大抵みなおかしくなってしまう」
外は明るい。深緑が強い風にそよいでいる。
「先生は、知ってるんですか?」
見つめてくる少年の問いに、男は苦い微笑を浮かべた。
「最初はおかしくなったさ…でも、もう、慣れてしまったらしい」
男の言葉を、少年はじっと聴いていた。
「怖い話だと…思う。でも先生には怖がる権利は無いだろうな」
言葉を切ると、男は少年を見た。
「理由があって…話さなきゃいけない。ヒサ、聞けるか?」
少年は少しの後、ゆっくりとうなずいた。
窓の外で風が止む。
男は少年の様子を見て、一瞬悩む様にしてから、口を開いた。
「前置きから話そう。…今の世界はとても平和だ。ヒサもここに来る前の世界のことは覚えてるだろ?」
少年がうなずく。淡々として静かな目。
「いい世界になったと先生は思ってた。けど、シクロ様は違った…とある深刻な問題にお気付きになったんだ」
「深刻な問題?」
首を傾げる少年に、男はうなずきを返す。
「シクロ様がお気付きになった問題…それは人口爆発だ」
少年が興味深げな目に変わる。
「人が極端に死ななくなった。それそのものはまだ喜ぶべき事と言えるけど…人が、増えすぎた」
「どう、なるんですか?」
「20年もすれば…人類は滅びると」
「…滅びる?まさかそんな」
「既にヒト以外の生物の増殖速度とヒトの消費速度がかなり近づいているんだ」
王は無表情に言い捨てる。彼は動揺の余り動けずにいる。
「そもそも人間の精神がおかしくなった頃から予兆はあったんだ」
「おかしくっ…」
思わず反論しそうになった彼を、王は一瞬射抜く様に睨んだ。
「…何だ」
「…一概に悪い変化とは…言えないのではと」
我に返った彼が呟くと、王は口の端をわずかに歪めた。
「私は悪くなったとは言っていない。ただ、以前と比べて奇怪になったといっただけだ」
王は彼に背を向ける。
彼は何も言わずにうつむいている。
「…私は確かに今の人間が嫌いだ。だが、そこまで私情をこの話に持ち込むつもりは無い」
がたん、と音を立てて王が椅子に座り、彼を静かに見る。
彼はそれに気付くと、小声で謝罪の言葉を落とした。
「…すみません」
王は傍らの机に肘をつき、机の上の灯りを見つめる。
「…ルサネ」
「はい」
「お前はここに来る前は人の心の…精神や脳波などの研究をしていたんだろう?」
突然そんなことを言われて、彼はぽかんとしてしまう。
「え、ええ」
王は彼を再び見た。暗い色の眼が灯りに揺れている。
「…ルサネは『今らしい人間』だから聞くが…私は異常なのか?」
何を求められているかわからず、彼は王を見つめた。
はいと答えてもいいえと答えても、王が満足するとは思い難かったからだ。
「…異常…この時勢のうちではそうも言えるのかもしれませんが…昔は陛下の様な方もいたのですから…」
王は身を起こし、背もたれに身体を預けて少し笑った。相変わらず、ため息めいた笑い。
「忍耐強いな、ルサネは」
「そんな、滅相も無い…」
王は笑いを収めると、近くの椅子を指差した。
「掛けてくれ」
「すみません」
彼が座る。王はそれを見届けてから、話し始める。
「こんな私でも人間が滅びるのは好まない。私も人間だからね」
灯りが揺れている。仄暗い部屋。窓の下から這い上がってくる、街の明かり。
「このままではしかしそれは避けられない。それは確実だろう」
彼がうなずく。嫌な予感に包まれながら。
王は冷静な眼をして、言った。
「お前には酷く嫌な話だろうが、私の計画を手伝ってくれないか?」
少年は表情一つ変えず、ただ下をむいて呟く。
「滅びる…」
男がその様子を期待と不安の入り交じった様な目で見ていると、少年はすぐに顔を上げた。
「それが、実験のきっかけになったんですか?」
男の目から期待の色が消え、恐怖に染まった。
少年の澄んだ目はただ知識欲を宿すだけ。たとえ滅びを耳にしても。
そんな事は自分が一番良く知っている…男は自分に言い聞かせ、次の言葉を紡ぐ。
「そう。それをどう解決するかが見えていらっしゃるらしいんだ」
「先生は?」
男は苦い表情をした。
「…質問する勇気がなくて。正直、やっぱり怖いんだ…実験の内容だけで、先生は苦しくなる」
少年は不思議そうに男を見つめた。
幼くて純粋な…幼い子特有の氷の様に澄んだ目が男を見ている。
その目をしばらく見ていて、やがて男は少年が何を求めているかに気付いた。
薄気味悪さに震えそうになる身体を抑えつけ、男は少年の求めに応じることにした。
「…ヒサが参加しているのは…シクロ様が先生に命じたのは…『心の封印』の実験だった」
「…03」
ぜろ・さん。自分に充てられた、通し番号。
「何ですか?」
発した言葉。相手から必要な情報を引き出す合図のようなもの。
陛下、止めてくださいっ。いったい何がっ…
「自分が誰だか、わかるか」
問いかけ。相手の求める内容を理解し、返答する。
「わかります」
相手は表情を変えない。自分も、不必要な行動はしない。
嫌だ…っ。誰がこの実験を率いて行くんです。これはっ。
「名前で呼んだ方が、いいか…?」
相手が戸惑いを見せる。脳内の情報が、相手に合わせるべきと判断する。
「好きなように、呼んでください」
目が合う。相手が笑っているのか泣いているのかわからない。
陛下…一体、どうしてなんです。
「正直、03と呼ぶのは気が引ける。ある意味お前は既に実験の結果を出したのだから」
気が引ける、という意味がうまく認識出来ない。いや、意味はわかる。ただ…
「そうですか…?」
ただ、実感出来ないだけ。
へ い か 。
『やはり、そういうことだな。『善』同士だから『善』なんだよ』
「そうか、今はもうよくわからないんだな、そうだった…」
独り言だとわかったとたんに、返答する理由がなくなる。
この場所は薄暗い…けれどとても…世界が綺麗だと、そう…
「なら、名前で呼ぶよ、ルサネ」
「…どうして、心の封印なんか?」
小さな声で少年が問いかけると、男は窓の外を眺める。
「シクロ様が…『甘いだけの現人類では私の案は実行不可能だ』とよく言っていた」
少し考えてから、少年は再び首を傾げる。
「先生でも?」
男は一瞬驚いたような目をしたが、すぐに答える。
「先生の心は封じられてないから…そうなんだろうね」
少年は男の言葉を聴いて、しばしして窓の外を見た。
一面緑。煌めく世界。
男は少年を静かに見つめる。
「…ぼく、本当のぼくじゃないのかなぁ」
少年は呟いて、それから男の方を見上げた。
男は悩んで、悩んでから首を微かに横に振った。
「根本にあるところは変わらない。だから、ヒサは、ヒサだ」
「…先生、本当にそう思ってますか?」
少年に淡々と問われ、男は白衣のポケットに両手を突っ込んで笑った。
「実験はいまだに成功してるのかわからないんだ。脳内のどの電流が『心』なのか…はっきりしないから」
少年はまた窓の外を向く。
二人とも、外を見ている。
「それに、もしかすると余計な感情から自由で、むしろ幸せなのかもな…」
「先生」
「何?」
「心があるのは、幸せですか?」
男は引き戻されるかのように少年の方を見た。
少年は外を見ている。
男は苦しそうな顔をして、呟いた。
「人に、よるんじゃないか?でも先生は…どっちも幸せじゃないな」
少年が男の方を不思議そうに見る。感情の抜けた目。
「どっちも?」
男は答えず…
突然びくりと震えて、少年に静かに聞いた。
「ヒサは…狂ったり、しない…な。実験のこと…言っても」
少年は考え込む。
「別に…怖いことはないです。心がなくても困らないし、シクロさまは変なこと考えたりしないし」
少年は考え込んだまま。
男の顔に張り付いた驚愕が、恐怖に変わり、淡い絶望、やがて悲しみになるのにも気付かない。
「…皆この話で…封印失敗になっていたのに」
小声の呟きに、少年は気付かない。
がばり、と彼は飛び起きた。
冷や汗が頬を伝い、息は荒く、全身がたがたと震えている。
彼が辺りを見回す。白い布団。空は青。暖色に彩られた部屋。
医療室…?
彼は思って、困惑した。何故こんな場所に。
「夢…か…」
彼は微かに震える声を発し、何とか自分を落ち着けようとする。
どうしてこんな場所で眠っていたのか、この状態ではとうてい思い出せそうになかったから。
何度か深呼吸して、落ち着きかけた時。
がちゃん。
扉が開く音に、彼はびくんと震えた。そして扉の方を見て、動けなくなる。
王がそこにいた。
王は彼を見ると、ひとつ溜め息して歩み寄った。
「生きてるな」
「…陛下、私は、一体…」
王がベッドの傍らの椅子に座ると同時に、扉が再び開いて一人の宮廷医師が入ってくる。
王は目を反らし、そのまま言う。
「蜘蛛膜下出血だ。この時代に生まれていてよかったな」
嘘には聞こえなかった。彼は記憶をたどろうとするが、医師が診ているせいかうまくいかない。
「…お前がいなくなると計画が立ち行かないんだ。しっかりしてくれ」
目を合わせようとしないまま王が言う。それでも彼には、王が嘘を吐いているようには思えない。
「陛下…?」
「…何だ」
「いつ…倒れたのですか、私は…?」
彼の言葉に、王はようやくそちらを見る。
「覚えていないのか?」
不思議そうな目。暗い色の目。
彼はためらいがちにうなずく。
しかし王は何も言わなかった。彼は不安になり王を見つめる。
やがて医師が出ていくと、ようやく王は口を開いた。
「…ヒステリーを起こした。血圧が急上昇したやら、結果それだ」
「ヒステリー?一体どうして」
彼が驚いて聞く。王は目を反らした。
「…忘れていたいなら、それでもいいが。…計画は実行する。それだけは覚えておいてくれ」
立ち上がる。王が歩き去る。扉が開き、閉じる。
彼は呆然とそれを見送り、やがてうつむく。
そして見た。
布団の上に置かれた自分の手、左手首に入れられた『03』の刺青を。
「…ヒサ、実はシクロ様が呼んでるんだ」
男が言うと、少年は顔を一気に上げた。
「ぼくを?どうして?」
驚きと言うよりやはり不思議がるような。そんな少年の目から逃れようとするように男は首を横に振る。
「とにかく呼べっておっしゃった。だから理由は知らないんだ」
少年は小首を傾げて考え込んだ。
「シクロさまはえらい人だから、ぼくは良い子にしないといけないんですね」
男は苦笑してうなずく。
「シクロ様がこの実験の被験者に会うのはたった二回目だ。ヒサは期待されてるんだよ」
少年は黙って首を傾げる。
男は扉に向かって歩き出した。
「ヒサは…シクロ様に似てるから」
「え?」
「何でもないよ」
男は扉を押し開ける。
少年は久しぶりの外にさしたる感動を抱くこともなく、出ていく男に従った。
灰色の静かな廊下。左右には同じような扉がいくつも並んでいる。
蛍光灯が鳴いている。
「…先生」
少年が呼び掛ける。
「何だい」
男は振り返らない。
「先生は、シクロさまとか、ぼくのこととか、嫌いなんですか?」
男は淋しそうな顔をした。
「嫌いじゃないさ。ただ、怖いだけで…」
ばたん、と扉を押し開け、彼は立ち止まる。
執務室。机に向かっていた王は顔を上げた。
「陛下…」
彼の声はかすれている。
王はただ彼を見つめ、やがて机上の書類に目を戻す。
表情は変わらないまま、沈んだような声。
「その様子では…思い出したらしいな」
彼には言いたいことが沢山あった。
恐らく言わなければ胸のうちでくすぶりつづけるような言葉ばかりが。
彼は怒りや、悲しみや、憎しみに任せて叫ぶ…つもりだったのだ。
なのに、彼が言ったのは。
「実験は…進んでいますか」
王がはっとしたように顔をあげる。
彼は怒っているとも笑っているともつかない表情をしている。
「結果は…集まっていますか」
王が暗い色の目を伏せた。
「09まで被験者が入った。今の所は皆…安定している」
自分より少しだけ若い王がそう言うのを聞いて、彼はいたたまれなくなった。
「…すみませんっ…」
王が絶句した。
「…何故?」
彼は頭を下げて、そのまま言った。
「私が…初めての…実験失敗…」
言い切る前に、ばん、という大きな音が彼の言葉をさえぎった。
頭をあげられなくなって、しかし彼は王が机を強く叩いたのだと認識する。
重い空気。
「…それは優しさか?慈悲か?情けなのか?」
静かな王の声。下を見ているので、彼には王の表情はうかがえない。
「偽善ではない。それは理解している。今の人間は本心から温かみに満ちている訳だ…」
がたん、と椅子が動く音。
そして頭を下げたままの彼の横を足音が過ぎていく。
「怖ましい…」
少年と白衣の男がいくらか歩き、大きな…白でも灰でも黒でもない色の扉にたどりつく。
興味深げに扉を見上げる少年の前で、男はその扉を二度叩く。
「入れ」
深みのある声が扉の向こうからして、少年は男を見つめる。
男は少年を一度見つめ返し、扉を押し開いた。
『一欠片でいい。『悪』に触れさせてやればその『善』は崩壊する』
男は動けなくなった。
少年はただ不思議そうに見回すばかり。
扉の向こうは、すさまじい視覚的衝撃を二人に与えていた。
赤。
床、棚の本、壁、窓、天井にすら赤が飛び散り、葡萄色にこびりついている。
こま切れになった『何か』が床を埋めつくし、特有の臭気を放っていた。
「遅かったな、ルサネ」
そして二人の正面の机の上にはまだ原型を留めている『何か』が転がっていて…
その向こうで一人の青年がひどく静かな笑みを浮かべて座っていた。
全てが生命と死を思わせる赤に染まっているのに、その青年だけが赤を身に纏っていない。
淀んだ蒼の眼はむしろ浮き上がるよう。
「へい…か…?」
男は頭を振りながらその場にへたり込む。
「一体、何が…?」
血の気を失った男の顔を見て、青年は事も無げに言った。
「狂っているよりは死んだ方がましだろうと思ってね」
男は呆然と青年の顔を見つめ、不意に叫びだす。
断末魔の様な、凄まじい絶叫。
それからぷつん、と糸が切れた様に黙り、うつむいて、そのままになった。
青年はしばらくそれを見つめ、やがてため息に似た笑いをこぼした。疲れた様な、短い笑い。
少年は不思議そうに男を見つめ、幾度か揺さぶる。しかし男は死んだ様に虚ろな目のまま。
「さて。08…ヒサ」
青年の深い声が少年を二つの言葉で呼んだ。少年は小首を傾げて小首を傾げて青年を見る。
「シクロさま?」
少年の言葉に青年は微笑した。何処か、自嘲気味に。
「ああ、00のシクロだよ」
「ぜろ、ぜろ?」
青年は少年の言葉に応じる様にして立つと、床に張り付く『何か』の断片を踏みつけながら少年に歩み寄る。
それから左の袖をまくりあげると、二の腕の外側を少年に見せた。
「00」の刺青。
「つい前に気付いたんだがね。どうやら私の父辺りが同じ様な実験を私にしていたらしい」
袖を戻しながら、青年は男の方に近づき、その左手を取って少年に見せる。
「03」の刺青。
「書斎にあったレポートに従って実験を行った訳だが、そこに書かれていた「00」の正体がつかめてせいせいしているよ」
少年は二人の刺青を見て、自分の左手の内を見る。
「08」の刺青。
それから少年は記号としての笑みを浮かべた。
「先生も…シクロさまも…ぼくとおんなじなんですね」
青年は幾分か笑みらしい笑み。男の手を離す。
からん、という音。
「ルサネの方は『完成』が今になったがね。ようやく、成功例を稼げたよ」
青年はきびすを返し、赤い部屋の中へと戻っていく。少年はそれについていく。
青年は幼い少年を見下ろして話し始める。
「…人間が、安定しすぎる。話は聞いたかな」
「先生が教えてくれました」
「もはや…間引くしかない。私はそう判断した」
青年は静かな表情。少年は真剣に聞いている。
「ヒサ。次の王はお前に任せることにしよう。お前はルサネとともに、この国を壊せ」
「壊すんですか?」
「何、使えるものを駆使して殺せるだけ人を殺せばいい…殺させるのもいいだろう。死を広げろ。お前が殺されるまで」
不思議そうにしながらも、少年は素直にうなずく。
それから机に近づいて、転がっている『何か』を怖じることなく興味深げに見つめる。
恐怖もない。罪悪感もない。さしたる哀しみも、本当の喜びも持ち合わせていない。
二人は死に汚された部屋で立っていた。落ち着き払ったままで。
少年の背を見つめ、青年はふと、安心した様に笑った。
「08」
少年が振り向く。
「任せるよ」
少年が首を傾げる。
からん、という音。
青年は少年を見つめたまま。
「人間は弱い。今の世界なら、お前達二人だけで…必要悪を世界に補給できようさ」
「シクロさま?」
ぶつぶつっ。細かな繊維と柔らかい繊維を切る音。ぐちゃり。濡れた音。
青年が顔をしかめて囁いた。
「安心したよ、ルサネ…お前の中にも…悪の要素はあった訳だ…」
青年が血を吐いて倒れる。
その後ろには男。白衣を赤く染めて、ついさっき青年に握らされたナイフをぶらさげて。
少年は不思議そうに青年を見つめている。
「…私の実験は…仮説通りに…終わる」
何故か優しく笑い、それきり、青年は動かなかった。
少年と男は淡々とした目で青年を見ている。
やがて少年が顔を上げた。
「先生、シクロさまが人を殺して欲しいって」
男は少年を見た。虚ろな目。
それから白衣を翻し、部屋から出ていく。ナイフを握ったまま。
少年は不完全な笑顔を作り、楽しげな声で呟いた。
「みんなとっても優しいから…すぐにはやりかえしたりしないもんね、シクロさま」
心を失った少年は、赤い部屋に座って、眼を閉じた。
木烏さんお疲れ様です。
とりあえずもらった注釈をば。
「ヒサとルサネとシクロは、非鎖と流実と如露です。」
あとがきじゃなく注釈担当は相変わらず高嶺 幽がお送りしますですよ。
2007/04/15