悪魔
「ねー、そもそも悪魔ってなんなんだろ」
ココアをすすりながら細身の若者が呟いた。
「お前がそれを言うか」
ブラックコーヒーをすすりながら長身の青年が溜め息をつく。
夜。摩天楼。
「そんなみもふたもないこと言うなよー。俺だってそんな物知りじゃないしさぁ」
「だからお前が俺にそれを言うのかよ!」
「いやごめん」
とぼける若者。青年はカップを置く。
「俺に聞くことじゃないのは確かだろう。そんなこともわからねぇくらいボケたか?」
「ひっどいな。わかってますよーあんたがおバカなことくらいー」
光に蝕まれた夜を見下ろすその店には、二人以外の客は見えない。
「でもさー、酷くない?別に悪じゃないっての」
「悪だろうが」
「ちがぁうっ。本当に悪なのは下級のバカどもだけでっ」
「やっぱり悪なんじゃねぇか」
「むぅぅぅ」
青年は若者をからかうように指差し、
「お前もおもいっきり」
と呟く。
若者はすねたように、
「契約破棄すんぞー」
と漏らした。
「しかしなぁ。やっぱり悪だと思うんだが」
「でもさ、まともな奴は…今時は真面目ーに仕事してんだよー?なのに何で」
「契約内容の問題だろ」
「え?!みんなわかってて悪魔にお願いするんじゃないの?」
青年は考え込むように、納得したように、幾度か頷く。
「…まあ、そうだな」
「真面目に誠実に勤勉に職務こなしてるのに何で悪扱いなんだよー」
「誠実?そうか?」
「…言葉尻のびみょーなニュアンスには敏感だけどね」
「ああ、そういうことか」
再びコーヒーをすする青年の前で、今度は若者がカップを置く。
それから伸びをしながら宙に浮いた。
「すっげー。見て!街!綺麗だよ」
「こら浮かぶな。目立つ」
「だって伸びすると流れで浮きたくなるー」
「何だよそれは。てか毎日来てるのに改めてすげえも何もない」
「…そうかなあ」
若者はふらふらと飛びながら窓から下を見下ろした。
「この世界は神ちゃんの言葉だもん。これが綺麗で優しいとホッとすんだ」
「…神ちゃん言うな」
「様づけは柄じゃないしー。神さん?」
「違う言葉になりつつある」
「でも女性は家庭じゃ裁きの神じゃないの?」
「…そうか?」
青年が立つ。浮かぶ若者の横から、街を見下ろす。
「しかし神様の言葉、か。それはいいな」
「でも、そうじゃんか。光あれって光がはじまったんだし」
夜の中に、街の光は無数に浮かんでいる。
「…光が創られた時、世界はどんな眺めだったんだろうな」
「さーね。でも神ちゃんそのあと色々創ったんだし…寂しい景色だったんじゃな
い」
「なぁ」
「ん」
「悪魔は神が嫌いなんじゃないのか」
「んー」
若者がくるりと宙返りして、席に戻る。青年は窓際に。
「わかんないのはさ、悪魔って名前をつけたのが神ちゃんなのかアダムの子孫かってことでさ」
ココアを一口。若者は苦笑いした。
「もし神ちゃんが俺達にもともと悪って名前つけてたんならさ、俺ら今逆に駄目だけど」
青年は黙って若者を見ている。静かな目。
「もしアダムの子ども達がつけたんなら…神ちゃんがくれた本当の俺らの名前ってなんなのかなって」
青年は若者の横までやってきて、戸惑うような表情を浮かべた。
「知らないのか?お前たち自身も?」
「残念ながらねー。ボス辺りは、知ってんのかな?」
「…悪魔の最高位の奴は、もともと天使なんだろ」
「ん、諸説ございますねー。俺、ボスに会える身分じゃないし」
静かになる。
青年も席に戻って、二杯目のコーヒーを飲んでいる。
若者は頬杖をついて、それをじっと見ている。
「…ココア来ない」
「不審だからじゃねぇか」
「どこがさ!」
「浮いたり」
「う…」
青年は少し笑うと、カップを置いて身を乗り出す。
「なあ」
「何だよー」
「お前はさ、悪魔って呼び名嫌いなのか?」
若者は目をそらし、苦笑する。
「まぁ、自分じゃ誠実な仕事人のつもりだしねぇ」
「確かに、な。お前は契約内容の確認とかじっくりさせてくれたしな」
「俺恨まれんの好きじゃないの」
「ほほぉ」
青年は驚いたように言うと身を起こす。
「…でも嫌われんのは好きだろ」
「まー…ねぇ」
やっとウェイターがココアを持ってくる。
若者は嬉しそうにココアに飛び付く。
幸せそうな若者を、青年は少しだけ笑いながら眺める。
「で、さっきの話だが」
「どれ」
「悪魔は神様のことをどう思ってんのかって」
「あぁ、そういや半端だったねー」
若者は言いながら気持ち良さげに伸びをした。
「浮くなよ」
「うかなーい」
青年がコーヒーを横に退けて、腕を組む。
「…で?」
「んー」
しばらく考え込んだ若者は、考えながら言った。
「もしさ、悪魔…って呼ばれてる奴のこともさ、神ちゃんが創ってくれたんなら…」
「…」
「俺も神ちゃんの言葉であるこの世界の一部だなーって思うと、嬉しいよな」
「…好きなのか」
「どうなんだろ。偉大だとは大抵の奴が思ってるっぽい。ボス辺りは知らないけど」
「直接堕とされたんだ、恨んでるだろ」
「かな。…うん、まぁ好きな奴も嫌いな奴もいる。でも俺…神ちゃんの言葉好きだから」
若者は笑った。青年は苦笑い。
「あー、でもボス怒るかなーじゃあ」
「お前会える身分じゃないんだろ、相手もそうそう気にしねぇよ」
「んー、ボス綺麗だって言うから怒られるんでもお会いしたいけど。あんたより美男だったり?」
若者がからかうように指差し、青年は苦笑を深くする。
「なんだそりゃ。…ま、大変だな板挟みは」
「結構な職場だよ?儲けはオール自分だけど時々抜き打ちテスト入るし」
「ほぉ」
「上の人とはあんま面識ないから顧客の振りしてテスト来ても気付かないんだよね」
「だろうな」
若者はココアを一口して、青年を見た。
「ねぇねぇ」
「何か?」
「あんたはさ、神ちゃんのこと、嫌い?」
青年は一瞬戸惑う。
それから笑う。
「待て、お前本当にそんな呼び方してていいのかよ」
「駄目かも。ってはぐらかすなよー」
「もう帰るんだよ」
「えーっそんなー!待てようっ」
若者は立ち上がった青年を見て、物凄い速さでココアを飲み干し勢いよく走り出す。
「待てって言いつつ先に行くなよ!」
「俺金ないもーん」
あっというまに若者は店を飛び出していく。
残された青年は、ひとつ溜め息して微笑んだ。
「…だから、恨んでるって言ってんだろ」
小さく、誰にも聞こえないように。
「でもまぁ…嫌いにはなれねぇだろうな…」
青年がふと、思い出したようにポケットに手を突っ込むと、紙とペンを取り出した。
それから若者の名と、その横に100分の92と書く。
そのまましまおうとした青年の手が止まる。
「…おだてに乗って100点にしとくか、な」
美男だってよ、と呟くと、青年は数字を書き換えて、それから歩き出した。
2007/04/08