その光景を眺めていた。
『…のは、誰?』
彼は呆然と立ち尽した。
彼女は気まずげに横を向いている。
…雨が降っている。かなりの豪雨が二人を叩く。
ふと彼がよろめくように一歩を踏み出した。その足が水溜まりを踏み、雨水を跳ねさせる。
何でだ、と彼は彼女に叫んだ。
彼女は動かない。閉じられたままの傘が揺れる。
何も言わない彼女に、彼はもう一度、なんで、と叫ぶ。
彼女はしばらく黙っていたが、やがて言った。
あなたといるのは怖いから、と。
彼は再び呆然とした。
雨音が強くなる。
彼女は躊躇いがちに言った。
あなたは私を守ってくれるって言った。でも…
彼は顔をあげる。その目つきは、もはや恋人を見るものではない。
今度こそ幸せになれると思ったけど、だめなの、と彼女が言う。
数瞬おいて、彼が呟いた。
なんでだよ、俺は…
刺すように冷たい雨。コンクリートの床を打つ。
彼女が、もう行くわ、と呟いた。
これ以上あなたと一緒にいるのは怖いの。
彼女はひどく申し訳なさそうに言って、彼に背を向ける。
激しい雨音の中、微かな笑い声が響く。
彼女は歩き出す。屋上から下る階段に向かって。
突然彼が走った。
足音に振り返り目を見開く彼女に掴みかかると、強く押して屋上のフェンスに押し付ける。
ふざけんな、俺が何したって言うんだよ。
怒りに我を忘れて彼が叫ぶ。
彼女は抵抗しながら、はじめから嫌だって言ったのに、と叫ぶ。
フェンスの向こうは七階分の高さ。灰色の雨粒が落ちていく。
軋むフェンスに彼女を押し付け、彼はいきなり彼女の首を絞めはじめた。
彼女がもがく。
赤い傘が揺れる。
死ね、死ね、と彼が叫ぶ。
フェンスが悲鳴じみた音を立てる。
激しい雨。
微かな笑い声。
彼女の体から力が抜ける。
弱々しく抵抗する彼女。
鬼のような形相で叫ぶ彼。
雨音に隠れた嘲笑…
次の瞬間、ばしん、という奇妙な音がした。
フェンスが、外れる。
既に力を失った彼女を跳び越えるように、勢い余った彼の体がフェンスの後を追
うように…
落下を、はじめた。
凄まじい悲鳴に意識を取り戻す彼女。
七階分の高さを、彼は雨とともに墜ちていく。
悲鳴が雨音に掻き消され…その先の音も、聴こえなかった。
黒い傘。笑い声。
彼女は声を失って、彼が墜ちていった方を見つめる。
…だから、言ったのに。
雨の中、彼女は長らく動けずにいた。
残されたのは、ただ 人。
『その光景を眺めていた…』
2006/12/17