Symbiosis





霧の中を歩き続けていた。


そう、霧の濃い日だと思いながら、藤色に染まった霧の中を歩いていたはずなのだ。
道はちゃんとあるから、隣町まで霧が出ていようとも辿りつけるはずだったのに。

…私は、天国に来てしまったのだろうか?

今、目の前には森が広がっている。前も後ろも、何処までも。
それもただの森ではないのだ。
足元には土ではなく砂利が敷きつめられている。
やけに色とりどりだと思って手にとってみれば、この砂利は全て様々な種類の宝石だったのだ。
そこから七色に光る大きな水晶が茂みのように生えている。
立っている木の幹は当たり前の様に黒水晶か黒曜石で出来ているようだ。
葉は無いが、そのくらいの高さから上では真っ白な霧が天井を作る様に漂っていて、空は見えない。

…宝石で出来た森だ。見た事も聞いた事も無い、幻のような森。

ひたすら歩いても、出口は見つからない。そもそも一体いつこんな所に入り込んでしまったのかすら解らないのだ。

異世界。宝石の森とは言うが煌々しい風ではなく、静まり返って落ち着いた、美しくも淋しげな森。

ふと思い立って、宝石の砂利を鞄に詰め込んでみる。かなり入った。これだけあれば数年は遊んで暮らせそうだ。
…もちろん、帰る事が出来るのかもわからないが。

空は霧で閉ざされているのに、森は暗くはなかった。光源も無いのに、どうしてだろう。


静かすぎて怖くなってきて、少し早足で歩き出した、時。
遠くに何か見えた。

目をこらしつつ近づいて…私は驚く。
黒い石ではない木。
赤い葉、白く煌めく華と実。枝々は銀と、あれは瑪瑙だろうか。幹は銅で、根元はどうやら黄金で出来ているようなのだ。
大きくて、幾種もの宝石や貴金属で出来た木。
しかし人工物の気配はなく、やはりそれが本来の姿であり、その姿でずっと育って来たという雰囲気を漂わせている。
根元まで近づくと、木の周囲には金細工の繊細な草がいくらか生えていた。これもやはり、自然の姿に見える。
森から出られる保証も無いのに、私は思わずその草を砂利の地面から引き抜いた。
純金ではないだろうか…根の先まで美しい金で、しかし信じられない程に植物らしい…

「抜いてしまったのかい」

不意に響いた声に、私は驚いて声のした横手の方を見た。

五メートル程先に、質素な木の板で作られた大きな十字架が立ち、その傍らに一人の男が立っていた。
シルクのような黒の衣を身にまとった、穏やかに淋しげな表情をした男。
その背から広がる…大きな黒い翼に、私は何とも言えない恐怖を感じた。

「どうしても欲しいのなら、仕方ないけれどね」
「お前は…?」

私が問うと、男は大きな翼をゆっくりと動かしながら答える。

「この森…の、主とでも言っておくよ」

主。この森の。
悪魔のような翼を背負った男から私が目をそらせずにいると、男はくつくつと笑う。

「迷い人、か。せっかくだからこの森の事を教えてあげようか」

男が翼を畳む。ばさり、という音。

「この森は、死に瀕した者の魂が時折訪れる場所…
 彼らにここで憩う権利を与える代わり、彼らには森の要素を少し創ってもらう」

私が持ったままの金の草を男は指差した。自分が示されているようで、どうも息苦しい。

「その草を思い描いてくれたのは180年程前に死んだ少女。肺炎だったね」

手に持つ草を見る。本当に美しい草だ。死に逝く少女がこの森に遺したもの。

「持ち帰っても良いよ。命ある者が留まっていてもどうにもならないから。いるべき場所へ帰らせてあげるさ」

帰れる。それがわかった瞬間私は安堵し、草を持ち帰れる事を喜び…しかし。

「命をなくした者は、この森に…?」
「種になるんだ。黒曜石の木々の…といっても、どうしても嫌だっていう者には普通に逝ってもらっているけれど」

男が翼をゆるく広げた。
森を見渡す。広い森…どこまでも、黒く煌めく木。

「これを創った少女も…いるのか?」
「いるよ。この森を愛してくれた」

これだけの木々が死んでいった人々で…この森を好いたのだと思うと、私は不安になった。
この草一つ失われるだけで、多くの死者が悲しむのだろうか。
くつくつと笑う声。男は大きく翼を広げ、軽く羽ばたいた。

「生者は欲があるのが普通だよ…持って帰りたいならそうするがいい。その草を夢見た子がいたってことぐらいは覚えておいて…
 それと、いつかまた誰かが願うまで、抜かれてしまったその草は戻ったり増えたりしないってことも」

私はもう一度金の草を見た。もう手遅れなのだ。抜いてしまった。持って帰ってしまえ。…でも。
それだけで済ませていいことではない…それも、わかる。

「…私が死ぬ時にも、ここに来られるだろうか」
「その時にここを覚えていれば。どうして?」
「戻って来たら、この草を返したい」

言うと、男は笑った。

「それがいいだろうね。ここは皆の森だから。願わなければ、来られないけれど…」

悪魔のようなその男は、どこか淋しげに、笑った。


気付くと私は隣町の前に立っていた。藤色の霧の中、重い鞄と黄金の草を持ったまま。







「この森は…皆の命と繋がっているから。ここが終われば、皆が終わるから…」









2007/05/20