鏡
吹雪の雪原の中、一人の少年がしゃがみこんでいた。
幼い泣き顔は冷えて白い。
同じ様に白くなった手に吹きかけられる息は白く煙る間もなく吹雪に散らされる。
さほど厚くもない服は所々擦り切れ、震える体を守りきれていない。
剥き出しの足は軽く雪に埋まり、いかに足が冷えているかが分かる。
少年は独り、震えていた。何も無い吹雪の雪原で。
ざくっ、ざくっ、と雪が鳴く。
彼は穏やかな表情で歩いていた。
ひらひらと翻る黒衣は薄いくせに、彼は暴れ狂う吹雪をものともしない。
優しくも力強い表情。
簡単には屈することのない心が、彼の表情から透けて見えた。
向かい風の雪に腕をかざし、彼は苦笑しながらも余裕を持って征く。
ほんとうはこわかったんだ。
本当は淋しかったんだ。
だからこんなところに…
このまましねるとおもってた。
誰かの助けを待っていた。
しねばらくになると、
誰か来てくれると、
信じてたんだ…
ざくっ、ざくっ…
近付いてきた音が絶え、少年は目を開け弱々しく頭をあげた。
倒れた少年の前に彼は立っていた。黒衣を纏い、微笑を浮かべて。
「けものかと…おもったら、ひとか…」
微かな声で少年は囁く。
吹雪に掻き消され届かないはずのその声に、しかし彼は苦笑した。
「狼なら、一匹では滅多に現れないよ」
少年は再び閉じかけた目を開け、彼の方を少し見上げた。
「ころしに、きたの…?」
彼は屈みこんで少年に語りかける。
「君が殺して欲しいなら、僕は別に構わないけど」
優しい声で言って、彼は微笑む。
少年はそんな彼を見つめて、呟く。
「へんなやつ…げんかくかなあ」
彼が身を起こし笑いをこぼす。
「かもね、君が言うなら」
それから彼は少年の傍らにそっと膝をつき、外套を広げる。
途端、猛る風と降り続ける雪が、外套に弾かれた様に二人の回りから排除された
。
積もった雪の表面はただ平たい。
少年は微かに驚いた表情を浮かべる。
「すっごい…まほうつかいなんだね」
彼は外套を広げたまま。
「普通の魔法使いでもこれはできるさ。応急処置」
彼の笑顔に少年はぽかんとする。
「…なんで…たすけるの」
「ん…正直、君に倒れられちゃ困るんだよ。だからもう少し、頑張れ」
言い終えて、彼は不意に目をつぶる。直後、彼を中心に温かな風が一瞬広がる。
少年が安堵の溜め息をふと洩らす前で、彼は目を開け外套を放し、こちらは疲れた溜め息をついた。
吹雪は、入ってこない。
「いやあ…疲れた」
「なんでこまるの…?」
「え」
落ち着いた彼の表情が、少年の質問で変化を見せた。
彼は黒衣の裾をいじりながらしばし悩み、それから自嘲の笑みを浮かべた。
「まあ其処は…僕の言動から推測してよ」
少年はややはっきりと不満そうな顔をした。
それを見て、彼はほっとした笑みをつくる。
「ほら、起きな。ほっぺが凍傷になる」
「んー…」
彼は少年の体を助け起こした。
少年は無意識に彼にしがみつき、その後恥ずかしそうに手を外して目を反らす。
…何処かよく似た二人だった。
吹雪が強まる。しかし二人の周りだけは凪いだまま。
「これも、ふつう?」
「え?…ああ、どうだろうな…もしかすると、凄いかも」
彼の気さくな笑いに、ようやく少年は微笑んだ。
けれどすぐに、神妙な顔に戻る。
「きみはなにものなの?」
「…答えにくいなあ」
「でも、どうしてこんなことできるの?」
彼がまた苦笑して頭を掻いた。
しかし少し躊躇ったあと、彼は穏やかに言葉を紡いだ。
「だって、此処では全部僕の思い通りだもの」
少年は困ったような表情をする。
と、不意に少年が彼の黒衣の袖を掴んだ。
そして、彼にくっついて、泣き出した。
吹雪が、弱まる。
彼は少しの間目を丸くしていて、それでも少年を撫でてやる。
「…やっと、泣けたね」
少年がしゃくりあげながら問う。
「きみは、なんで…たすけてくれるの…」
彼が笑って、少年を揺すりあげる。
それから、穏やかな声で言う。
「だって…淋しい時に、自分まで自分のことを突き放したら、辛いばっかりじゃないか」
吹雪が…止む。あっと言う間に。
少年が泣くのも忘れた様に彼を見上げた。
「えっ…じゃあ、きみは…」
「もう、いいよね。まだまだ頑張れるだろう?」
遮る様に発された彼の言葉に、とうとう少年は満面の笑みを浮かべた。
「…うん!」
春…だった。
暖かな空間、生き生きとした小さな世界の中、一人の少年が遊んでいた。
幼い笑顔はとても明るい。
子供らしく伸ばされた手に握られた花は枯れることを知らず陽に照らされる。
さほど厚くもない服は春風に翻り、楽しそうな少年を煩わせない。
剥き出しの足は花々の間を駆け、いかに少年が幸せな気持ちかをうかがわせる。
少年は一人、笑っていた。光溢れる春日の野原で。
彼が目を開ける。
冷たい現実にも、再び立ち向かえる力を瞳に宿して。
淋しかったんだ。
でももうだいじょうぶ。
一人でも、独りじゃない。
じぶんのことくらい、じぶんでささえなくちゃ…
2007/01/14