不眠症





内藤は、人に訊かれる度にこう答えていた。

「いや、僕は極度の不眠症なんですよ」



昔から内藤は、眠るのが好きでは無かった。



幼稚園に入る頃までは夜はいつも、眠りたくないと言ってぐずって泣いた。



小学校の間は夜更かしして遊んでいて怒られるのが常だった。



中学校に入ると、夜は部屋で静かにマンガを読みふけり、平気で徹夜をした。



高校に入る頃には、内藤は『眠らない』ではなく『眠れない』体質となっていたのだ。

さすがに疲れが溜まる様になり、内藤は不安になって両親に相談した。

しかしそれまでの生活のせいで両親は大して気にせず、内藤は病院に行く事も無く高校三年間を眠いまま過ごした。

不思議な事に、夜眠れないからと言ってそのツケが日中に回ってくる事は無かった。

授業中眠くなる事も無ければ、行き帰りの電車内でうたた寝をする事も無い。

目の下に隈を作りつつも、内藤は眠れないままだった。



大学に入ると、生活にすこし余裕が出て来た。

一人暮らしを心配する両親を旨く乗せ、内藤は上質の寝具を買ってもらった。

高い健康枕や、心地好い感触の敷き布団、程よい重さの掛け布団。

だがそれだけ手を尽くしても、内藤は全く眠る事が出来なかった。



あるときバイトで貯めた金で、内藤は病院に行った。

「ちょっと疲れてますね。でも、あとは異常無いですよ」

それが医者の言葉だった。

その後も何度か色々な病院に行ったが、眠れない事に対してはそんな言葉ばかり。

内藤はそのうち諦めてしまった。



内藤の『不眠』は本当に不眠だった。

夜の闇が群青になり藤色になり薄桃になり白になり青い朝になるまで、内藤はずっと起きているのである。



内藤は人並みに恋をした。

会社の同僚である淑やかなその女性は佳奈子と言った。

内藤は佳奈子と付き合い出した。

二人はとても気が合った。

内藤は幸せな日々を送っていたが、ある時ふと思って佳奈子に言ってみた。

「佳奈子さん、僕は高校の頃から一睡もしていないんだ」

佳奈子は少し驚いた様に、

「一睡も?」

と言った。

内藤は信じてもらえないだろうと思っていたから、淡々と言った。

「一睡も。最近じゃあ眠いとかだるいとかも思わなくなったし、むしろ横になるのが面倒なくらいで」

内藤は不安になりながら佳奈子の言葉を待った。

しかし佳奈子は、いつもの様に微笑んだ。

「もし本当なら、内藤さんはすごいわ。だから仕事を片付けるのも速いのね」

今度は内藤が驚いて言った。

「変な奴だとは思わないかい?」

佳奈子は少し考え込んでから、言った。

「それは少しは不思議だな、とは思うけど…内藤さんにはそれが普通なんだったら、いいんじゃないかしら」



内藤は佳奈子と結婚した。

一人の男の子に恵まれたが、内藤は自分のように育たない様にちゃんと寝る様に育てた。

眠らない亭主だったが、佳奈子も息子の裕樹も普通に接した。

ときどき裕樹が学校で話すネタに父親を使ったが、佳奈子の教育あって馬鹿にする事は無かった。



佳奈子が年老いて死んだとき、内藤は酷く悲しんで病気になった。

裕樹が見舞いに来てくれると喜んだが、病気はなかなか治る様子を見せなかった。



いよいよ臨終という時、裕樹や内藤を知る人達は集まって泣いた。

内藤はいろいろあった人生を思いながらも、幸せな気持ちで最期の眠りにつこうとした。




だが内藤は極度の不眠症だったので、眠れなかった。










2006/08/20