妖厄神





神の存在をほとんどの人が信じない世になっても、その神だけは地上にいた。




災いの神…

その神がいるその土地では、草の実も大きく実らず家畜はもちろん人々の子すら滅多に産まれず…

何故かどの生き物も長生きするばかりで、
元気なのは伐る者が少ないせいで鬱蒼と茂る森の木々と、
汚すものの少ない青い河と空ばかりだった。


その土地の人々は、飢えても土地を移ることの出来ない貧しい者や老いた者、
或いは災いの果てに生み出された閑散とした自然の美しさに魅入られた者位のもの。

手の届く場所に災いの神は鎮座しているのに、誰ひとり倒す事など考えられないのだ。


むろん、永い歴史の内にはこの神を討伐せんとした者はいくらもいたが、
今神がいる以上その結果は知れたものである。

よほど強い神なのかと思うかも知れないが、
実際に災いの神が在るとも知れぬ通力を振るった事は一度たりとも無い。

何故だか知らないが、人間はこの神を傷付けることを畏れるのだ。




例えば今より数百年の昔、この神を倒さんとかの神殿に乗り込んだ男がいた。

だが神殿の奥、座する神を見て男は唖然とした。

音に聞く邪悪な災いの神が美しい人の姿ならば誰しも驚くだろう。

その神は性の別が分からぬ程の美しさで神殿の奥にいた。

永い時に伸びた水のような柔らかく艶やかな長い髪を流れるままにし、
その澄み渡った目を男ではなく虚空に向けて。

最初の驚きから醒めた男は、神の余裕とも取れる態度に怒りを覚えた。

鉄剣を抜き放ち振り上げると、一気に神のもとへと駆け…

神の目がぼんやりと男の方に向けられて。

男は徐々に速度を落とし、神の目の前で立ち止まる。

感情の読めない目、そして脅えもせず、
それどころか攻撃の様子さえ見せない神に淡い畏れを抱いたのだ。

しばらく男は立ち尽くしていた。

神はただ男を双眸に映すばかり。

男は弱々しく剣を再び振り上げ、目をつぶって何やら叫びながら剣を振り下ろす。

確かな手応えに男が目を開くと、男の剣は神の肩に食い込んでいた。

傷から深紅の血が吹き出す。

神は美しい顔を微かに歪めて、けれど何をする素振りも見せない。


これは災いの神などではなく、ただ美しいだけの人ではないか。


男はそう思い不安になり、剣を恐る恐る引いた。

血の勢いが増す。

神は顔をしかめたまま、片手で傷を押さえる。

けれどそれだけだった。

男は急に怖くなって、あっというまにそこから逃げ出してしまった。




こんなことが何度も続き、銃や爆弾が発明された今ですら
災いの神に致命的な傷を負わせる事が出来た人間はいないのだ。


…そもそも、この存在が神であることとこの災いが自然でない事が正しいとしても、
この二つの事柄に因果関係を見い出せる証拠など何処にもありはしないのだが。




こうして地上最後の神は独り、崇められる事もなく今も虚空を見つめている。










2006/08/06