炭玉亀裂





ショウテキが滑る様に飛んでくれるおかげで、少女は落ち着いてきていた。
夜なお淡く翡翠の色を宿す眼下の森を見ながら少女は思う。
(ショウテキの声…災いを呼ぶ?私が今こんな所にいるのもこのショウテキのせい…なのに何で私おとなしく乗ってるんだろう…それとも、だからこそ乗せてもらってるの?)
少女は思い立って翠の竜に問いかける。
「ねぇ、どこに行くの?」
竜が首だけ振り返って少女を向いた。消し炭色の眼が戸惑いを宿して揺れている。
「あっ…ごめんなさいっ」
少女が謝ると竜はまた前を向いた。
人の言葉云々以前に、ショウテキが自分に気を使ってくれたのだと少女は感じた。
ショウテキはその声を聞かせまいとしたのだ。
少女は何だか夜が怖くなって、竜の首にすがりつく様にして言った。
「誰にも声をきかせられなくて…声を出すだけで忌み嫌われて…だから誰にもちゃんとは思ってること分かって貰えなくて…寂しくないの…?」
答えを返される筈もないのだ。言葉が通じたとて。
それを思って、少女は竜の鬣に顔を埋めて、泣いた。
ショウテキはちらちらと少女を見遣りつつも、嫌がる様もなく飛び続ける。
心の中で微かに、少女はこの竜がソニではないかと少し思った。
やがて少女は、羽音のリズムの変化を感じて顔をあげた。
ショウテキは調度、森の中の少し開けた所を目指して降りて行くところだった。
翠の羽毛と柔らかな鬣がが風になびいている。
少女はそこに身を預けたまま、
背景から自分を包み込む世界に変わっていく森を見下ろしていた。
と、何かが見えた気がして少女が恐る恐る下を見回す。
しかし森は夜闇に沈み、見ようと思って何かが見える明るさではない。
目を凝らせば凝らすほどに夜が集まってくる様にすら感じた。
しかしショウテキが下降していくにつれ、
確かにそこに何かが見える様になっていく。
そしてすぐに、少女は気付いた。
「…ソニさん?」
言った直後にショウテキが着陸のために羽ばたきを激しくする。
素早く上下する翼と風に煽られる鬣などに遮られまた何もみえなくなり…

「鈴音…」

ショウテキが着地する。
少女が見たのは、
「ソニ…さん…?」
甘やかなほどに、美しい半色。
「…本当に捜しに来るとはね…出来ればこんなの、見せたくなかった」
傍らに転がる、
「…嘘っ…何で…」
赤にまみれた、
「ツズキ…!?」
死した、人。
「…」
「どうして…」
「…」
どことなく気弱げな青年は、何も言わない。
その赤く染まった服と、すぐ横に落ちているナイフの方が伝えるべきことを全て告げていた。
少女は動こうとしない竜から跳ぶ様に降りた。その目はただうろたえているだけ。
「え…だって……あ…あのさ、何で…こんな所にいるのっ…?」
ソニは答えの代わりに、倦み疲れた溜め息を深く、深く落とし、幾歩か退がってうつむいた。
「ねぇ…心配、してたんだよっ…?すぐ、帰って来るって…言ってたから…」
少女は言いながら、ふらふらと転がっている少年の体に近付いた。
屈みこんで恐る恐る触れ、その冷たさに小さく悲鳴をあげて飛び退き、動けなくなる。
「そんな…え…これは…ツズキじゃない…っ」
「鈴音」
「だって…嘘、…嘘だよ…っ」
ショウテキが怯えた様子でソニを見る。
ソニは同じ様な目でショウテキを見た後、意を決した様に少女を見た。
「嫌だ…どうして。ねぇ、何で…」
少女もひとしきり呟いた後、ゆっくりと立ち上がってソニを見た。
「貴方が、やったの…」
「…好きなようにしてくれて、いい」
力なく答えたソニを見て、急に少女が叫んだ。
そしてうち捨てられたままのナイフを拾って、

ソニの胸に、突き立てた。

「……ごめんよ」
ソニのいつも通りの声がして、少女ははっと我に帰る。
自分の手元を見て僅か喘ぎ、ナイフをソニの胸に残したままよろめく様に退がる。
ソニは、苦々しく、悲しげに微笑んだ。
「ごめんよ…死ねないんだ。何度痛い思いをしても、死ねないんだ」
ソニは言いながら、突き刺さったナイフを引き抜いて、放り出す。
血が吹き出して、ソニの服を更に赤々と染めていった。
動けずにいた少女は不意に、羽ばたきの音を聞いて振り返る。
翠の竜の胸からも鮮血が溢れていて、羽毛をべったりと濡らしていた。
「何で…?」
少女の呟きにソニは目を伏せる。
「…浅ましいだろうか。体を二つにわかたれてすら、その不死を失うことを恐れる僕は」
少女が再びソニを見た。
ソニの半色とショウテキの消し炭色が、かぶった。
「え…?」
ソニが静かに尋ねる。
「君はまだ幼い精神をしているから平気だろう。一つ、忌み声で吟う童歌を聞いてもらえるかい?」
覚えず少女は頷いて、ソニはそれを見てゆっくりと息を吸い込んで、童歌を紡ぎはじめた。

…光の森の、王様は、
…いつも、お腹がすいていた。
…虚ろな森に、住んでた風も、
…お腹がすいて、旅に出た。
…お歌が好きな、旅する風は、
…光の森に、やってきた。
…光の森の、王様は、
…風のお歌を、聞き付けて、
…風を食べようと、捕まえた。

少女は何だかくらくらしてきた様に思った。
周りを見ると、ちらちらと虹色の光が飛び交っている。
その光は所々で木や雲や動物の様な形に成りかけては崩れを繰り返している。
少女にはそれが幻覚だとわかった。
分かっていたのに、その幻覚は消える様子もなくむしろ増していく様で、少女は少し怖くなる。
しかしそれは美しいものだった。
少女は酔わす様なソニの歌声に聴き惚れつつ、虹色の光を見つめる。

…風のお歌は不思議なお歌、
…それが分かった王様は、
…逃げられない様にその風を、
…二つに綺麗に切り裂いた。
…二つになった、その風は、
…一つはちゃんと、飛べたけど、
…誰にもお歌を、きかせられない。
…一つはちゃんと、歌えたけれど、
…飛んだりはもう、できなかった。

いつのまにか夜の森は虹色の光に塗りつぶされて、別世界の様になっていた。
少女は気付く。虹色のきらめきの渦の中に、童歌の物語を辿るもの達がある事に。
見覚えのある怪物の姿が、大きく美しい鳥の様なものを二つに引き裂く。
わかたれた虹色は、片割れは人の形に、片割れは…
ショウテキ。

…裂かれた風は、それからは、
…ずっと王様の、奴隷になった。
…全ては一つに、戻りたいから。
…飛べる欠片は、滅びの歌を。
…飛べない欠片は、誘いの歌を。
…王様の食事、そのためだけに、
…喉がかれるまで、歌い続ける。
…一人に戻って、生きてくために、
…それだけのために、残酷な歌を。

虹色の光の中に寒気のする様な優しく美しい歌声が響きわたり、消えていった。
少女が思わず息をついた途端、一瞬のうちにその虹色の幻影が弾けて消えて、元の世界が戻った。
光の中にいたせいで目が眩み、夜が漆黒の帳になって少女を飲み込む。
何も見えなくなって、くらくらして、少女はそこに膝をつく。
目がちらちらしてはっきりはしなかったが、少女はまた自分が泣いている様な気がした。
「…どうして、こんな…」
ソニ。ショウテキ。
どちらの名を呼べばいいかわからなくなって、少女は何も言えなくなった。
「…哀れまないで。僕は、人を殺し続けて来たのだから」
「それだって、イチヤクサマが…!」
「僕は」
ソニの声が静かに昂った。
それですら美しい声に、少女は何も言えなくなる。
「自分のためだけに、あいつの言う事を聞いている。
もう人間が何人死んでも動じないって決めたんだ。僕はそう言う奴なんだ。
…自分が諦めれば誰も死なずにすむものを、ね」
いつしかソニの体から吹き出ていた血は止まっていた。
ソニは放り捨てていたナイフをゆっくり拾い、黙って少女に向ける。
ようやく見える様になってきた少女は顔を上げた途端にそれを直視した。
「…ソニ…さ…ん」
「僕がその気で歌ったら、君は自分からこのナイフに貫かれる事を望む」
「…!」
少女の目に恐怖と絶望が宿るのを見届けて、ソニは少女に背を向けた。
「連れてって。村の近くまで」
ソニの声にショウテキが答える。
少女が何かする前にショウテキが少女の後ろ襟をくわえ上げる。
「ソニさんっ…!!」
ショウテキが羽ばたく。
地面が遠くなる。
「やだよ…っ!」
ソニは、振り向かない。
ショウテキが一気に舞い上がる。
その反動を利用してショウテキは少女を放り上げて上手く背に乗せるとあっという間に速度を上げた。
「どうしてよっ!いやっ!嫌だ……」
地平線が明るくなり始める。
少女は泣きながら、思わず翠の竜の首に縋り付いた。
ショウテキは何度も背中にいる少女を幾度も振り返り、けれど一度も声を上げはしなかった。

ソニは泣いていた。
何度も自分を斬りつけて、失血の苦しみにどんなに死にそうになっても、
本当の死はいつまでも訪れなかった。







2006/04/23