虎目歪曲
少女がソニの家に住むことになって二日目の夜、ソニは出かけたきり帰って来なかった。
住むと言っても、ソニが料理出来ないと言うことを理由に食事は全てツズキの家で食べていた。
少女は彼と話すうちに知った。
彼は孤児らしいのだ。
両親ともショウテキの鳴き声が呼んだ災いによって命を落としたらしく、
ツズキはひどくショウテキを恨んでいる様だった。
「ねーちゃんはさ、やっぱ不安?」
「え?」
「自分のいた所と全然違うんだろ、ここ…怖かったり、いらいらしたりするの?」
ツズキにそう聞かれた時、少女はすぐには答えられなかった。
帰ることが不可能だと分かってから、頭の方では諦めがついてしまっていたからだ。
生活のレベルはもといた所と大きく差があるとはいえ、
穏やかな空気の漂う村はそんなに悪い場所ではない。
悩んだ末、少女は答えた。
「帰れたら嬉しい。けど、帰れなくてもそれはそれで嬉しい。私はそう思ってるつもり」
それを聞いて、ツズキはほっとしたような顔をした。
「良かった。ねーちゃんいらいらすると怖そうだから、すげー安心した」
「何それー」
そんなとりとめもない会話が少女にはとても幸せで、
村の人々と仲良くなる良いきっかけでもあった。
特に彼、ツズキは少女にとても懐いていた。
たった二日で姉弟のように仲良くなったのだ。
もちろん食事以外の時はソニと過ごす。
ソニはとても優しく、少女が思っていたより世話焼きだった。
狭苦しい家を木の板や布で仕切り少女の部屋を作ってくれたり、
少女が服に困らない様村の子供達に交渉したり。
少女がこの村で暮らしやすいよう、色々な手を尽してくれた。
しかしソニは今日、ただ「出掛ける」と言い残したきり帰って来ていない…
夜中も近くなった頃、少女の不安は頂点に達した。
すぐ横にあった上着を羽織ると、机の上にある鍵を持つ。
これはつい昨日、ソニが少女のために木で作ってくれたものだ。
少女はそれから天井に掛けてある灯りをはずして持つと、外へ出た。
特に行くあてはない。少女は考えた末、森に行く事にする。
初めてソニに会ったのがあの森だったからだ。
鍵をかけ、村の夜へと歩きだす。
電灯などない村は、夜になると皆寝静まる。
一人で歩くには不気味な時間だった。
小さな村故に、数分の後には森の際までたどりつく。
宵闇のなかに淡く翠がかって見える森は、村と比べて更に静かだった。
少女は森の中で会った気味の悪い怪物を思いだし軽く身震いした。
もし、また襲われたら。
しかしそれはソニも同じ。
それに、もしソニが死んだりしても、村の大人達は悲しむどころかせいせいするかもしれないのだ。
少女は、そんな様子に直面したくはなかった。
少女は恐怖を振り払う。
そして、夜の森に踏み入った。
『探しに、きた…?』
ある程度森を歩いた頃、少女は誰かの声を聞いた気がして立ち止まった。
と、その瞬間すぐ横手でばさばさっ、と激しいはばたきの音。
少女はびくりと身をすくめ、それから慌てて急速に遠ざかる羽音の方を見る。
漆黒の空と黒翠の木々の間に僅かに見えたもの。
それは…三対の翼。
(ショウテキ…!)
少女は迷わず追おうとした。しかし元より速さは格段に違う。
見失うのにほとんど時はかからなかった。
速度を落とし、やがて立ち止まり、少女はそれから帰り道を見失ったことに気付く…
『…来てる』
「…やっぱり、か…」
『どうするんだ…?』
「…今更、隠せない。あいつに襲われても困るし。…連れてきて。それから決めるさ…」
『…』
静かで寒い森の中、少女は座り込んでいた。
目の前に灯りを置いて見つめている。
アルコールランプにも似た不思議な作りの灯りが放つ白い光は、今にも消えそうに揺らめいていた。
少女がどうしようもなくため息をついたとき。
ばさ…
微かな、羽音。
少女が灯りを掴んで一気に立ち上がった。
しかし、それがたたって灯りがその光をふつりと消してしまう。
呆然とそれを見やる。辺りは完全な闇に包まれ…
ばさ、ばささっ。
少女が恐怖に我を忘れる前に、羽音の主が少女の前に降り立った。
更に呆然として少女はその姿を見つめた。
「…ショウテキ…さん?」
間違いなくそれは、羽毛に包まれた竜。
呼びかけられた竜は、軽く身を屈めて頭を少女の腕に擦りよせた。
自分をこの世界に引きずり込んだ、そしてツズキの両親を殺めた存在とわかっていながらも、少女はほっとして竜の頭をそっと撫でる。
竜はそれからゆっくりと少女に背を向け、背を低くしてから少女を振り返る。
「…乗れ…とか…?」
竜が頷く。
少女は恐る恐るながら竜の背にまたがった。
竜が立ち上がる。少女が血相を変えて竜の首筋の羽毛にしがみつく。
流石に痛かったのか竜が首を振った。
あわてて手を離してから、腕を竜の首に回し、少女が聞いた。
「首…こうしてて、いい?」
竜が頷き、少女がぎゅっとしがみつく。
それから竜が強く羽ばたき、
悲鳴も上げられない少女を乗せて森の空へと舞い上がっていった。
2006/04/09