海松麝香





少女が細かい事を聞けずにいると、不意にソニは椅子を立った。
「ああ、村長がもう起きた頃だよ。一応言いに行こう」
「…どうしてですか?」
「半分が日本人って言ったろう?
 村に紛れ込んだ日本人を住まわせてきてるんだ、この村。
 まぁ、実際に村に来るところを見たのは初めてだったけど」
「…帰る、方法は…ないんですか?」
少女が聞くと、ソニはその半色の眼を伏せた。それから呟く。
「…ごめん」
「どうしてソニさんが謝るんですか?!」
「ん…」
慌てて問い返す少女を、ソニは暫し見つめた。
黙って見つめてくる甘い程の半色。酔った様な気持ちにさせる眼だった。
しかしその眼はすっと少女から反れる。
少女は思った。彼は今、何かを言おうか迷ったのだ、と。
「…行こう。大丈夫、みんな優しくしてくれる」
「ソニさん」
「………ごめんよ」
「…」
少女は戸惑ってから、もう一つ尋ねた。
「何で、日本の人がここに…?」
再びソニの目が少女を見た。
それからその半色の眼が伏せられ、そのままで柔らかな声が静かに紡ぎだされた。
「森に…ショウテキという生き物がいる。たった1匹だけだ。
 滅多に鳴き声をあげる事はない…」
「翠色の…竜ですか?」
「会ったのかい?」
少し寂しげな様な笑みをソニがふっと浮かべた。ソニは続ける。
「…基本的におとなしい生き物だ。
 イチヤクサマを追い払うだけの力を持っている珍しい生き物。
 けれどこの村では悪魔として恐れられているんだよ」
「どうしてですか?」
「一応イチヤクサマは神として崇められているのさ。
 恐ろしいけれど森の外から魔物が来るのを防いでくれてはいるからね」
「森の、外…魔物…?」
「この森の外は魔物が余りにも多い。人間はここでしか生きられない」
少女はぞっとした。まるで…牢獄だ。
「それと…ショウテキが悪魔と忌み嫌われる理由のもう一つは、その鳴き声だ。
 滅多に鳴かないショウテキが鳴くと様々な災いが起こる」
「…ショウテキが鳴いたんですね?それで、私…」
少女が言うと、ソニは少女から目を外し、静かに一つ頷いた。
「ときどきそうやって、人がここに引き込まれてくる。何の脈絡もない。
 誰にも防げない。…ショウテキは死なない生き物の様だ。
 1匹しかいないのに、ずっと前からショウテキの声は定期的に森に響きわたってきた」
少女は黙り込んだ。
その様子を、ソニはしばらく静かに見つめていた。



家を囲む木々を抜けると、子供達が笑顔で迎えてくれた。
ソニが出てくるのを待っていたらしい。
「そにー!」
「おはよー!」
「ああ、おはよう」
少女はその様子を見ていて、先ほどのソニの声の力を思い出した。
しかし子供達の前で聞くのも気が引けて、問いかけるのはやめておくことにする。
「すずねーちゃん!」
「違うよ、すずね、おねえちゃんだよっ、ね?」
「おはよう!」
「え、え…おはよう」
少女の事ももう警戒してはいない様だ。
眼の色や顔立ちが日本人とは違うのを確認して、少女は自分がおかれた状況を改めて認識した。
「さぁて、今日も静かに頑張りますか」
「そんちょーの所行くんでしょ?」
「ああ」
「またそに静かにしなきゃいけないねー」
「そうだねぇ。繰り返し言うけど、話をした事がない様に振る舞う様に」
「はーい」
「りょーかーい」
「君もね」
ソニが話しかけてきて、ようやく少女は質問した。
「なんで、ですか?」
ソニがちらっと微笑む。何処か無理のある笑み。
「僕と話したなんていったら村においてもらうどころか追い出されかねないよ?
この声は、忌み声だから。ショウテキと同じ」
「…どうして?」
聞いていいものか迷いつつ少女は問う。
ソニは苦々しく呟いた。
「…何とも言い難いな。村の人とは互いに嫌いあってもいるし」
やはり聞いてはならなかったかと、少女はソニを伺いみた。
ソニが不意に焦る。
「いや、別にみんなまで嫌いな訳じゃなくてっ」
少女が疑問に思って後ろを振り向くと、子供達が安心したような表情になるところだった。
子供達も不安になっていたのだろうと思うと、何だか自分が質問したのが悪いことの様な気がしてくる。
「あのっ…」
しかし少女が何か言う前に、ソニがそれを遮った。
「いいんだって。でも聞かないでもらえると、嬉しい」
「…はい」
ソニは満足げな笑顔になって、それから子供達を見た。
「よし、じゃあみんな、行こうか」
「はぁい!」
子供達の元気な声を合図に、ソニと少女は歩き出す。
日差しも暖かく、穏やかな空気を創り出していた。
森の中と比べれば、格段に気温が高い。
子供達は本当にソニが大好きなようで、ソニも子供達を見て優しい目をしている。
お父さんやお母さん達はどうしているのだろう、
ソニの事を嫌っているのだろうか、とそこまで思って、少女は一つの事を連想した。
…ハーメルンの笛吹き。
馬鹿な想像だ、と少女は頭を振ってその考えを振り払う。
それから側を歩いている男の子に尋ねた。
「ねぇ、どうしてみんなとソニって仲良しなの?」
彼は無邪気な動作で少女を見上げる。
「あのね、そにのこえ大人は大っ嫌いでしょ?」
「うん」
「だからね、そにのこえ聞けるの僕たちだけなんだよっ」
「そっか…そうだね」
子供には秘密というものを好む子が多い。
子供だけがソニとの交流を持とうとするのもわかる。
「そにはねー、お歌とかお話とかがすっごくじょうずなんだよっ」
「そうなんだ。…ね、どうしてソニさんの声が忌み声なんだろ?あんなに綺麗なのに」
「うーん…わかんない。おとなはあたまがかたいから、ってそに言ってた」
「あんまり横でそんな話しないでくれよ。何だかんだ言ってはずかしいし…何より、着いたよ」
ソニの声に、少女は顔を上げた。
そこには他の家より一回り大きな、しかし作りは同じ建物があった。
「ここが?」
「そう。じゃあ、お願い」
「はーい」
子供達のうちの一人が歩み出て、家の扉をノックする。
程なくして、その扉が開かれ一人の中年の男が顔を出す。
「ツズキか。どうした?…またそいつか」
「そう言う言い方すんな。村長に用があるんだ。紛れ込みがいるんだ、ひとり」
ツズキと呼ばれた小学校四年くらいの男の子がはっきりと男に言い返す。
ソニは申し訳なさそうな顔をしたが、声は出さない。
「しゃあねえな…待ってろ」
男が引っ込む。ツズキがほっとした様に少女とソニを振り向く。
「ソニ、すずねーちゃん、ごめん。上がらせても貰えないっぽい」
ソニが小声で返した。
「構わないよ。厄介な事にならなくて済む」
見れば、ソニの顔は余りにも暗かった。
少女にはわからない、様々なもので暗く濁っていた。

男が、少女はソニの家で暮らす様に、という伝言を持って戻ってきたのはほんの後の事だった。










2006/03/19