石英浄刹





幾つ目かの木々の間を駆け抜けた途端、少女は思わず足を止めた。
急に、翡翠色の光が白い光に変わったからだ。
見上げると、木々の間が開けている。普通の日光が降りて来ているのだ。
「あれ…」
少女は目を疑った。
先ほどまで全く見えていなかった…「村」が現れていた。
数人の子供達が、少女をじっと見ている。
「…人だ…」
驚きに少女がぽかんとしているうちに、
子供達がぱたぱたと村の奥へ走って行ってしまった。
少女は何だか嫌われた様な気持ちになって立ち尽くす。
ふと森を振り返る。
中にいるときは不思議と明るかった翡翠色の森。
しかし森の外から見ると鬱蒼とした暗さを孕んで見える。
少女は改めて、自分がいる場所のおかしさを感じた。
「…本当だよーっ」
久しぶりに人の声を聞いた気がして、少女は村の方に向き直る。
まだ見えないが数人の子供が近付いてくる様だ。
「女の子!僕らよりおっきいの」
「はだしなのー」
どうやら、さっきの子供達が誰かを呼んで来たらしい。
はっとして少女が耳を澄ます。
誰かが小さな声で子供達に答えた様な気がしたからだ。
それに更に答える様に子供達の声。
「だいじょーぶ!そんちょうまだ寝てるもん。大人はこんな早起きしないもん」
「うん、私たちそにの事好きだもん!」
声の主達が、家々の向こうから現れる。
三、四人の子供達に引っ張られて、一人の男がいた。
麻かなにかで出来ている様な簡素な服。
防寒具の様なものについたフードで、顔は見えない。
その男が、少女の方に顔を向けて、口を開いた。

「あぁ、本当だ。紛れ込む事もあるんだねぇ」

少女はその声に聞き覚えがあった。
しかし何かを言う気にもなれず、ただ相手を見返した。
…空恐ろしい程、綺麗な声だった。
子供達は少女を警戒してか、黙っている。
男は待っててね、と彼等に言うと、静かに少女に歩み寄る。
何だか不思議な気配を持つ男だ。少女は少し怖くなって一歩退がる。
「怖がらないで。彼らも敵だなんて思ってないから」
ふわりとした声に呼び掛けられて、思わず少女は立ち止まる。
どうしてか聞いていたくなる声だ。
男は少女が立ち止まったのを見届けると、フードを下ろす。
若々しくて優しい、青年の顔が現れた。
黒いさらさらとした髪と、その端色をした眼に、少女は一瞬目を奪われる。
「僕はソニっていう。君は?」
知らない人に名を名乗るべきか、少女は迷う。
しかしその思いに反して、少女はあっさりと言葉を紡ぎ出していた。
「鈴音…」
端色の眼を柔らかに細めてソニは微笑む。
「やっぱり…ここのものじゃないな。君もイチヤクサマに追われて来たのかな?」
「イチヤクサマ?」
ソニのことばに促される様に少女は言葉を返す。
「森にいるものさ。見たろ?青紫色の大きな姿」
「…あれが…」
耐え切れなくなった様に、子供の一人が声を出す。
「おねえちゃん、イチヤクサマ見たのっ?」
誰より少女が吃驚して口ごもる。ソニが少女の様子を見て笑いながら言う。
「この子達はイチヤクサマを見た事がないものだから、いつも森に入りたがる。教えてやってよ、あいつの怖さ」
躊躇ったつもりだった…のに、少女はすらすらとあの怪物の事を話していた。
何だか自分が何を言っているのかよくわからない。
そう思っているといつの間にか子供達が怯えてソニにくっついたりしていて、自分の言葉も止んでいた。
(そんなに話したかったのかな…私…)
そう思いつつソニを見る。
端色の眼が微笑して、それから子供達の方を見た。
「わかったろ、森は危ないんだって事」
「うん…」
「いるの?おうちにきたり、しない?」
「こわいよーっ」
「大丈夫。ちゃんと村にいれば何も来ないよ」
ひたすらくっつく子供達を嗜めつつ、ソニは少女に話しかける。
「話、上手いなあ」
「そうですか…?」
少女は戸惑った。自分が何をどう話したか全く覚えていない。
そんな少女の思いに気付いているのかいないのか、ソニはくっついてくる子供達を軽く引き離しつつ言う。
「一応村長に言いに行かないと…けどまだ朝早いしなあ…うん、一旦うちに来なよ」
と、その言葉に子供達が顔色を変えた。
「え、そにのおうち?」
「あたしもいきたいっ」
「ぼくもそにのおうちいくー」
ソニはふう、とため息をついて、
「駄目。お客さんのいない時にしなさい」
「えー?!」
「いきたいー」
あまり聞き分けの良くない子供達に何度か説得を試みた後、
ソニはふいにゆっくりと息を吐いて、それから言った。
「今は帰って眠りなさい」
美しく言葉が響いた。歌の様な声音に、何故か少女は軽いめまいの様なものを感じる。
しかしそれを忘れる様な出来事がすぐに起きた。
「はーい」
子供達が声をそろて返答し、ぱらぱらと帰り始めたのだ。
少女が恐怖にも近い驚きに呆然としていると、ソニがその顔を心配そうに覗き込む。
「大丈夫かい?」
「えっ、あ、はいっ」
ソニはほっとした様な表情を作ると、少女に背を向ける。
「ついてきて」
歩き出すソニに、少女は大人しくついて行った。



その村の家々は、不思議な材で出来ていた。
皆半透明の様な白い色の…木材だった。
ソニに聞いてみると、
「ああ、あの森の木を切り出して、丁寧に鉋掛けするとああいった雪みたいな材になるんだよ」
とのこと。
昼ではそういう透けた様な白であり、夜は家々の明かりで淡く光って見えるらしい。
木があり、草があり、家畜がいて畑がある。
機械の気配はないが、それがまたやさしげな空気を生み出している。
のどかで美しくて、幸せな感じのある村だった。
村はずれに、ソニの家はあった。
それは初めて見た時、大きな茂み、としか見えなかった。
木々が絡まり合う様にして家を包んでいるのだ。
「あの…なんでソニさんの家だけ…」
「…まあ色々と。中で話すよ」
いいながら、ソニは好き放題茂っている木の枝をかき分けて家に向かう。
少女もそれに習ったが所々ではソニが通り道を作ってくれた。
「小さい子とかがときどき冒険しに来てしまってね…」
呟くソニは口調とは裏腹に優しい笑顔を浮かべている。
「たのしいんでしょうね、きっと」
少女が言うと、ソニは苦笑して頷いた。
木々の間を抜けると、目の前に家の扉が現れる。
この家だけ、普通の木材で出来ていた。
ソニが懐から、見た事もない様な不思議な形に彫られた木片を取り出して扉に差した。かちり、という音。どうやら鍵らしい。
ソニが扉を開ける。
「どうぞ。何もないけれど」
「お邪魔します…」
少女は導かれて家へと入った。
天井がそのまま屋根の様だ。
木で組まれた枠の上に半透明の葉が敷き詰められていて、白い光が入って来ている。
家の中を見渡す。本当にものが少ない。
少女は、何かなくてはならないはずのものがそこにはないと感じたが、
それが何なのかはわからなかった。
「何もないからおもてなしも出来ないんだ…申し訳ない」
「い、いえ」
家の中でもソニの声は少し小さかった。それでもその声は美しく、よく通った。
椅子を勧められて、少女は座る。ソニもその前に座った。
少し静かになった。
ソニが何を話そうか考えているらしく机を眺めているのをみて、少女は意を決した。
「あの」
ソニが顔を上げる。
「…一度あなたの声を聞きました。…森で…」
ソニは少し驚いた顔をした。それから目線を再び落とし、自嘲気味な笑みを浮かべた。
「…やっぱり覚えていたか。…ごめんよ、助けられなくて」
「…」
「人間は、イチヤクサマに手出しをしてはいけないことになってるんだよ…一応『様』がつく存在だから」
「あれって…一体何なんですか?」
ソニは少し顔を曇らせる。
「村ではわかっていないのが現状だ。わざわざ会いに行く人もいないし」
「……ソニさんは…?」
「ん、色々と…。肩身が狭い身なもので」
「えっ…ご…ごめんなさい」
笑って重そうな事をさらりと言われ、少女は少なからず狼狽える。
ソニの方は全く気に止めていない様子で、
「別に構わない。初めましてなんだしさ」
と笑う。
相変わらずきれいな声だった。
「…ここ、どこなんですか?」
「何とも言えないな…ただ、ここの人の半数程度は君と同じ、『日本人』だ」
「え?!そうなんですか…?」
「ああ。残りは元々ここに住んでいた人。ここが何処かわからないから何者かははっきりしないけど」
「でも、日本語」
「日本語…そうだね。もしかしたらこの村には元の言葉がなかったのかも知れない。やたらと音や声には敏感な人ばかりだし」
少しだけ声が沈んだ様な気がして、少女はあいずちに困る。その間にソニは続けた。
「君もわかるだろ、この…声」
「声?」
「妙な感じがするだろう?」
「妙、っていうか…」
「…これはね、この声は…ある意味で、病気なんだ」
どことなく淋し気に、ソニはそう言った。









2006/03/12