瑠璃奔流




少女は少しだけ落ち着きを取り戻し、僅かに血の染み付いたノートをめくっていた。
ノートの持ち主も、少女と同様目を覚ましたらこの翡翠の森だったらしい。
そうしていくらかさまよい、やはり少女と同じ様にこの骨達を見付けて恐怖し、絶望した。
『ここへ来て4度目の夜が明けた。ここの植物はどれも苦すぎて食べられない。
とても空腹だ。それにこの森は寒すぎる。ろくに眠る事も出来ていない。
…思考力が落ちているようだ。もう限界かも知れない。
…先ほどから妙な音が近付いてきている気がする。ずるずるという音だ…』
読んでいて、少女もふと空腹を感じ始めてしまった。
しかし動く気にもなれず、再びページをめくる。
そのページには、今までを遥かに上回って乱雑な文字が並んでいた。
『あれが生き物だと誰が思うんだ?見たこともない化け物だ、
あれは怪物だいまいきている自分がふしぎでならない…六本足?六本足の何だあれは!
蛇か何かかと思えば虫のあし…何なんだあの舌は?
どろどろずるずるあの音はあの体がたてるおと。
数十本の触手がのたうちながらせまってくる、あんな怪物がこの森にいる?
あの骨は…エサ場なのか?あのおとがわすれられない。
ずるずるずるずるはいずってキテこちらをミツけた途端に…体をツきやぶってくろい、足が…ぎしぎしときしむオとをたてて怪物が追ってきて…数十もある牙ガすぐうしろで音をたてる。
ぎじゃり、ぎじゃり、…恐ろしいおとをたてる。
駄目だ、じっとしていられない。急いであのエサ場から離れなければ。しかし』
そこで少女はノートを一気に閉じた。
音が…したからだ。
ずる、ずる、ずるり。
濡れた何かを、引きずる様な音。
少女はノートを放り捨てた。
翡翠色の森の中、ここは骨のある所。
エサ場。
少女は走り出した。
方向なんてどうでも良かった。とにかくエサ場から離れたいから。
ずるり、ず、ずる、ずる。
音が少し遠くなった気がして、少女は安心して速度をゆるめる。
…ふと。

「何だ、見付かってしまったのか」

森に誰かの声が広がった。
少女がびくっとして声の方…樹の上を見上げた。
翡翠色の葉と枝が揺れているだけ。既にそこには誰もいなかった。
「…誰かそこにいるのね!?」
返事はない。
その代わり、少女のすぐ後ろでずるり、という音がした。
少女がばっと振り向く。

それは、何とも形容し難い生物だった。

深い暗い青紫色の、とげのある蛇かナメクジのような体。
顎の咬み合わさる所には牙が剥き出しで、全体が虎挟みの様な形になっていた。
白銀に濁った眼が6つ。
そして、黒く節のある虫の様な足が六本あり、さらに対表から太い触手が幾本も伸びている。
神々しくすら見える、怖ましさ。
「そんな、嫌…なんでこんな…」
少女が脅えて退がる。しかし目線を反らせはしない。
ぎぐぁぁあああ!
その生き物が濁った声で鳴く。幾重にも並んだ牙が擦れてぎじゃり、と音を立て、
7、8本に先が分かれた舌が見えた。
「きゃあああああ!!」
悲鳴をあげて、思わず頭を伏せ、そのまま身を返し走り出す。
ぐぎぃあああっ!
その生き物が吠えて、触手を伸ばして少女を捕えようとし、また牙を鳴らして咬みつこうとする。
下を向いたまま走り出した少女は、どん、と何か体温のあるものにぶつかって凍りつく様に足を止めた。

『ていこうしても たすからな い  ばけもの が』

ノートの文字を思い出しながら、少女はゆっくりと、顔をあげた。